8月1日午後5時。ワルシャワは1分間時間が止まります
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8月1日は、ワルシャワ市民にとって特別な日。

 

1944年のこの日、ナチスドイツに占領されていたワルシャワで、ワルシャワ市民が市の解放を求めてレジスタンスを起こします。それが歴史で言う「ワルシャワ蜂起」なんですが、毎年この日は、蜂起の記念日として、17時から1分間、黙祷が行われます。

 

ワルシャワ蜂起について、こんかいの記事で詳しく説明する余裕はないので、申し訳ないのですが興味のある方は、こちらの記事(Wikipediaです)をご覧下さい。

 

で、この日は僕も、17時からの黙祷を見るために、16時にポーランド語の授業を終えて、17時前頃にCentrumに着くようにトラムで移動しました。

 

誤算だったのは、Centrum周辺は大量のポーランド人が集まるので、この時間前後にはトラムもバスも、ここまでは行かないこと。Centrumを通るトラムに乗ったのですが、途中で経路変更するというアナウンスがあり、仕方なく歩いて行くことにしました。

 

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Centrumに向かう道は、この混みっぷり。バイクに乗った右寄りの人達が、轟音を立てながら国旗をかざしてバイクにのっているのはさすがに怖かったです。

 

17時手前のCentrumの様子。

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17時からの1分間の様子は、実際の映像をご覧頂くのがいいかと思います。実は僕も、スマホのカメラでビデオ撮影していたつもりが、スタートボタンを押すのを忘れていて撮りそびれていたのでした…

 

というわけで、ここではYoutubeより、2015年の映像ですが、ご覧下さい。

17時になると、けたたましいサイレンと共に、松明?爆竹?のようなものを一斉に天に向けて、中心部は煙で包まれます。(この煙だけ見ると、テロがあったのかと勘違いしてしまいそうなくらいのものです)

 

こちらはもう一つ、別の場所での映像。

こちらの友人曰く、本来の姿はこの、2番目の映像のものに近いんだそうです。というのも、ここ数年、ナショナリズムが高まった多くの若者がこのイベントの時にCentrumに集まり、時にはデモのような過激な行為にまで発展してしまうことがあるためです。僕が今回見た光景も、「黙祷」というよりは「エネルギーをとことん発散させる」というものに近かったです。

 

ただ、友人からも「silence(黙祷)」と聞いていたのですが、日本人が想像する「黙祷」とは全く違う姿ですね(といっても、広島では原爆投下時間にサイレンが鳴るので、似ているのかも知れません。僕の地元では、黙祷といえば何の鳴り物もなく、ただ静かに目を閉じる、という行為だったので)。

 

他の写真を幾つか。

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街中では、至る所に花束が添えられています。僕が住んでいるアパートの入口の前にもありました。

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ところで、ワルシャワ蜂起に対してのこのイベントは、いわゆる「独立記念日」とは意味あいが異なります。

 

まず、これは「国」ではなくあくまで「ワルシャワ市」の行事であること。他の街ではやっていないそうです(僕が見たわけではないので、なんとも言えないのですが)

そして、独立記念日が「独立を祝う」日であるのに対して、このイベントは「ワルシャワを解放しようと命を捧げた人達を弔う」ものである、ということ。

 

上で紹介したWikipediaを見れば分かるのですが、ワルシャワ蜂起は結局、支援するはずだったソ連赤軍が支援せず、失敗に終わっているのです。過酷な状況にあって、祖国(というよりは街)を解放しようとした人達を悼むことこそが、このイベントの目的なんですよね(ちなみに、ポーランドの独立記念日は11月11日)。

 

そして、こういう状況を乗り越えて今の国家を作っているポーランド人は、本当に「不撓不屈」だと思います。第二次世界大戦後、破壊し尽くされた街を、かつての写真を手がかりにそっくりそのまま復元することなど、尋常でないほどの精神力と気力を備えているように思えてなりません。

 

このイベントでは僕もさすがに、泣いてしまいました。なんというか、上手く言葉に出来ないんですが、もう重みが全く違うんですよね。

 

来年もこの時期はワルシャワにいますから、今度はもう少し静かなところで、ワルシャワ人のクロノスを共有してみようかなと思います。

 

 

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