「物価が安い」ことを理由に海外に出る人と付き合ってはいけない理由
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このブログは、基本的にヨーロッパの生活・旅行情報ブログを客観的にまとめているものなのですが、ときどき、自分の意見をまとめた主観的な記事を差し挟むようにしています。

 

そして今回は、そんな「貴重な」記事を書くことにしました。

 

 

さて、このブログで一番読まれているオピニオン記事と言えば、2017年の秋に書いたこちらの記事です。

 

実は、この記事は何度か自分でも見返すのですが、根本的に考えていることをきちんと書けていないので、事実上この記事の続編としての立ち位置で筆を進めていきたいと思います。

 

上で紹介した記事には、

「物価が安いから」という金銭的な魅力だけで
ポーランドにやってくる人を
できるだけ排除したかったから、
というのが率直なところです。

という風に自分の意見を書いているのですが、この理由というか根拠を、当時はきちんと言葉にできていませんでした。

 

なので、その辺りをここできちんと言語化しておきたいな、と。

 

 

「物価の安さ」目当てで海外に出る人と付き合ってはいけない理由

 

率直な話をすると、「物価の安さ」って超魅力的だと思うんですよ。いや、こんなこと言うと意外に思われるかもしれませんけど、僕は「物価の安さ」っていうのは、海外で暮らす際の指標の1つにすることは、否定はしません。かくいう僕も、比較的物価の安いいくつかの国で、今まで暮らしてきましたし。

 

ただ、あからさまに他の理由がなくて、「物価が安いから」というのが頭にきている人は、正直言って危険分子だと思っています。

 

なぜかと言うと、そういう人達は限りなく「フリーライダー」であり「一生貧乏神に好かれて生きていく」人達だから、です。

 

 

フリーライダーっていうのは、「自分は努力しないけれど、人様が汗水働いて作ってくれたものをタダで使わせてもらいますよ~」という、超自己中心主義、他人のことはお構いなしで自分だけ得すればそれで良し、という、この世の中で一番視野の狭い動物のことです。

 

「物価が安い」っていうのは、言わば「自分が使うお金が少なくて済む」わけじゃないですか。その国の家賃しかり食費しかり交通費しかり。つまり、自分にとっては(一見)得なことしかないわけです。

 

けれど、その物価の安い国で生きるということは、当然ながらその国の人達があくせく働いて作った、あるいは働いて納めた税金で作られたインフラや食料を使わせてもらって、生きていくわけです。でも当然、フリーライダーはその国で納税をしているわけではないですから、「ただ乗り」のギリギリを付いてくる。自分でお金を稼ぐこともせずに、税金も納めずに、挙げ句の果てに自分が使うお金は最小限に抑えて、利益はできるだけ多く得ようとしている。まあ、ぶっちゃけ中身はジプシーなわけですよ。

 

 

で、「一生貧乏神に好かれて生きていく」というのは、この「フリーライダー精神」と密接に繋がっているものでして。

 

 

まず、そもそも「物価が安いからお金を沢山使わずに済ませられる」っていう発想をする時点で、精神が貧困(貧乏)。当たり前のことですが、人間、生きていくにはそれなりのコストが必要なわけですし、個人の力ではどうしようもできない時は国の税金を使うなどして、社会保障や教育制度を上手く確立して、個人がそれほど多くの負担をしなくて済むように作られています。

 

物価が高いと言われる北欧ですが、社会保障制度が充実していたり、教育費は高等教育・専門教育まで実質無料で受けられるという、「負担が大きい代わりに、それに見合っただけの恩恵を還元できるようにしよう」というシステムになっているわけです。

 

 

こういう、国家的システムがこれからの世の中でも機能するのか否か、という話は横に置いておいて、実際のところは、こういう風に「痛みに見合うだけの保障やサポートをする」というのが、様々な国で機能し続けてきたシステムだったわけです。

 

が、当然ながら、海外で職についたりフリーランスとして仕事をして納税をしている場合を除いて、僕たちはその国ではいち「外国人」であり、言わば「蚊帳の外」にいるわけなのです。

 

 

で、別に「蚊帳の外」にいること自体が悪いわけではありません。

 

 

問題は、そういう環境に置かれたときにどう感じて、何を考えるか、ということなわけですよ。

 

 

 

ここで、いわゆる「フリーライダー」の人達は、超個人主義で他人のことは考えないわけですから、

自分さえ良ければ後は何をしてもオッケー! 他人のことなんか知らんし、学費無料で大学に通って、私生活でもできるだけお金は使わないで、他人が用意してるもの上手く利用していこー!

と、自分のことにしか目がいきません。まあしかし悲しいかな、これが「フリーライダー」という、外見は哺乳類なのに脳は爬虫類という生き物の、性なのです。

 

 

でも一方で、同じ環境に身を置いたときにこんな風に考える人もいます。

自分が全く旅したことも住んだこともない国にやってきて、言葉も何も分からない中で色んな人に助けてもらってる。本当にいい人しかいない。けれどこんなに色んなものを与えてもらっているのに、自分は何も返せていないし、何らかの形で恩返しをしたい…

まあ、こんな風に考える人の最たる例が僕なわけですが、こういう風に考える人はむしろ、例えば

税金すら納めていないのにこんなに色んなもの受け取ってばかりいたら申し訳ないし、後で絶対に罰が当たる。だからせめて、税金を納めていない代わりに、少しでも多くこの国にお金を落として貢献しよう。

みたいなことを考えて、実行に移します。で、その最たる例が、僕なわけです(笑)

 

この2パターンを比較してもらえれば分かりますが、どっちのほうが心が貧しいのかと言われれば、もう答えは言わずもがなですよね?

 

結局、お金と心は繋がっていて、財布的に貧しい人は心も同様に貧困に陥ってしまっているわけなのです。

 

 

そして、最初の問い「こういう人達となぜ付き合ってはいけないのか」に戻りますと、こういう人達と付き合ってしまうと、「自分は他人に何もしないけれど、自分は相手から受け取って当たり前!」という、ジプシー根性が移ってしまうからなのです。これはある意味、マラリアに感染するより恐ろしいことです。

 

ミラーニューロンという言葉もあるように、人間は周りにいる人の考え方や行動様式の影響をものすごく強く受けます。仕事に対する考え方や姿勢、人との向き合い方、金銭感覚や時間感覚など、実際に一緒に過ごす時間が長い人からの影響を強く受けがちです。

 

ということは、こんな「フリーライダー」が近くにいると、

自分もタダ乗りしーちゃおっと!

と考えることが普通になってしまうかもしれないし、人には何もギブしないのに、人からテイクすることは当たり前で、しかもそれが当然の権利だ!みたいな、救いようのない身勝手さが身についてしまう場合だってあるわけです。

 

でも、当たり前ですが、人に何もギブせずに人からテイクばっかりしている人は、ギブしている人からすると「人から時間もエネルギーも奪うだけの存在」と見なされて、結局距離を置かれてしまいます。その結果どうなるかと言うと、人間関係も破綻して、結果的に新しい人の紹介も、情報も入ってこなくなって、更に孤立してしまう……という、悪循環に入ってしまうのです。

 

 

まあぶっちゃけて言うと、そういう生き方をしたいかしたくないかは本人の自由なので、好きなほうを選べばいいと思うんですよね。でも少なくとも、僕からするとそんな惨めな生き方は嫌だし、そんな奴と付き合うために、日本からはるばる遠くの地にやってきたわけでもない。

 

 

「物価が安いから海外に出てきました」と、顔に書かれている人は、正直言うとお先真っ暗だなと、僕は思います。というのも、東南アジアでも東欧でも、かつての日本がそうであったように、経済成長の時期をこれから経て、平均賃金も物価も、数十年かけて徐々に上がっていくからです。

 

だから、もう人生70年生き尽くして、余生は物価の安い所でゆっくりと過ごしたい…という人ならまだしも、これから仕事を通して様々なことを経験していく20代、30代で「物価が安い、お金使わなくても済む場所へ」なんて思っている人は、はっきり言ってしまいますが「人生詰んでいる」わけです。

 

でも、当然「物価の安さ」が理由で海外に出ている人は頭の中も貧困なので、そういうことすら分からない。いや、おめでたいですね。

 

 

 

ちょっと話が最初のほうに戻りますが、なぜ僕が「フリーライダー」を否定しているかというと、自分の信条に「痛みを伴わない経験は身につかない」というのがあるからです。

 

 

僕はよく、「身銭を切って経験しろ」と言うのですが、これはなぜかと言うと、自分が必死に仕事をして作ったお金を何かに使う、というのは、とても覚悟が必要だからです。

 

仮に、日本から海外に行く場合に、自分で仕事をして作った貯金を使って行くのと、親にお金を出してもらうのとでは、その真剣度は全く異なってくるはずです。

 

これは別に、親の金で海外に行くな、ということではありません。というか、色んな理由で親の力を借りる必要があることだってあるでしょうし、普通の学生だったら、完全に自分で資金を用意して海外に行く、なんてことは難しい場合が多いんじゃないでしょうか。

 

でも、これも上の話と繋がるのですが、「親の金で行くから好き勝手使って自由に暮らしていいや」と思うのか、「自分1人では生きていけないから、早く仕事をして何らかの形で親に恩返ししよう」と思うのかで、全く物事に取り組む姿勢は違ってくるわけです。

 

つまり、もう生き方レベルで、フリーライダーとそうでない人は180度向いている方向が違うわけでして。

 

 

話が横に逸れるので戻しますと、「自分で身銭を切らない」人は、結局一生、貧乏神に好かれて生きていくわけです。身銭を切ることは痛みを伴いますから、なんとかして、少しでも多くのことを吸収できないか、実りある時間を過ごせないか、次に繋げられないか…。そういうことを考えるようになりますし、結果、失敗もすることだってあるでしょうけど、確実に「自分のものにする」力は付いていくし、その中で精神的にも物質的にも富んでいくものなのです。

 

 

また、これまた話が繋がるのですが、なんでもかんでもフリーライドする人は、相手が使ってきた時間やお金の重みを分かっていないんですよね。

 

僕はよく、知り合いから仕事の情報を教えてもらったり、色々と助けてもらったりしているんですけれど、必ず物質的にお礼を渡すようにしています。それはお金だったり、お土産だったりしますが、できればきちんとお金を払いたいと思っているし、直接お金を受け取りたくない人には、何かに形を変えて渡すようにしています。

 

これは、「自分が経験するとしたら何ヶ月、あるいは何年も時間をかけないと、そして馬鹿にならない額のお金を払わないといけないことを、この人は既に知っているから」と、考えているからです。つまり僕は、その相手がそれまでの幾星霜で学んできたことを、ほぼ一瞬で教えてもらって、自分の知識やノウハウとして自分のものにすることが、できたわけです(ここから、血肉にするにはまた時間がかかるかもしれませんが)。

 

恐らく、世の中の大多数の方は、こういう情報やノウハウを「タダで教えてもらえる」ものだと思っているのかもしれません。いや、少なくとも僕がこれまでの人生で会ってきた大多数の人は、実際にそういうスタンスでした。

 

 

でも、僕からしたら、それをタダで教えてもらうことはできません。少なくとも、こっちから「お礼をさせて下さい」と言って何かを用意して、その上で相手が「いや、断るよ」と言うのだったら分かりますけれど(いや、それもこっちからしたら意味不明ですけど)、少なくとも教えてもらっているほうが「フリーライド」するものではない。

 

もし仮に、相手にお礼を受け取ってもらえなかったとしても、僕はその恩を長い間忘れないと思います。なんというか、僕はそれを「自分の痛み」として感じてしまうのです。

 

それは、相手に貸しを作ってしまったという、不釣り合いに対して違和感を常々感じているからなのかもしれません。普通は、そんなことは感じないかもしれないし、不感症くらいのほうが生きていきやすいのかもしれない。

 

 

けれど僕は、それを忘れられない体質なんですよねえ。だって今でも、ポーランドに自分の人生を救ってもらったことは(もう7年も前の話なのに)覚えているし、その恩を感じているからこそ、ポーランドでワーキングホリデーが始まった時に「ようやく恩返しができる」と思って1年間生活したし、ワーホリが終わった今でも、まだ恩返しは完全にできていないと感じている(笑)

 

 

なんというのかな、自分は気持ち悪いくらいに恩を忘れない人間なんですけれど、貧乏神に好かれ続ける人って、すぐに恩を忘れるし、何かに感謝するということが分かってない。あるいは、感謝している「ふり」をしているだけ。でもそれじゃあ、一生貧乏のままなんですよ。

 

人間、口ではなんとでも言えるんですよ、本当に。でも、その口から出ている言葉と、普段の行動を見ていたら、本当にその人が何を考えていて、何を大切にしていて、フリーライダーなのか本当に周りに感謝をしている人なのか、は簡単に判断できます。というか、そういう目利きができるようになってしまいました、僕。

 

 

なんだか、話がえらい広がってしまいましたね、これは。

 

 

結論をシンプルにまとめると、世の中には「自分だけテイクできれば良ければそれでいい、心も財布も貧乏な人」がいて、そういう人と付き合うと自分の心も財布も貧困スパイラルに陥っていくので止めましょう、ということです。

 

 

 

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