僕がポーランドに生活拠点を移したのが、2016年の7月で、そこで生活を続けたのが2017年の10月まで。その後半年ほど日本にいた後、2018年の4月から今度はハンガリーに移って、2020年の5月末に帰国するまで、およそ4年間(一時帰国などの日本滞在期間を差し引くと、実質3年4ヶ月ほど)ヨーロッパ、もとい東欧に滞在していました。
各年での大雑把な指針としては、
・2016年 ポーランドでの拠点を固めて、国内や周辺国を訪問。ブログを書いて、ポーランド関係で上位のブログになる足がかりを築く
・2017年 2016年の指針に則りながら、新しくポーランドにやってくる人に役立つ内容をブログを通して届けられれば
・2018年 拠点を移して心機一転、ハンガリーの情報をまとめながらこれまでいけなかった周辺国(南スラブなど)も見てみよう
・2019年 ポーランド・ハンガリーよりも西側、いわゆる「西欧」にも積極的に行ってみよう
といったものでした。
今でも、僕にとっては「ポーランドはヨーロッパにおいての(人生の)中心」である一方で、「ハンガリーはより広世界を知るための拠点となった場所」という意味合いが強く、この意味合いは当面(海外の新しい場所で生活をしない限りは)変わらないと思います。
一方で、それまでの3年間は「東欧」という場所にこだわっていた自分のスタンスが変わり始めたのが、2019年の1年でした。
今回は、そんな自分の心境についてまとめておきたいと思います。
目次
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もともと、自分にとっては「ヨーロッパ=ポーランド」だった
このブログを、開設当初から読んでくださっている方はご存じかもしれないのですが、僕がポーランドに関わりをもったのが2010年で、それ以来、ポーランドから拠点を移したあとの今現在においても、この国との関わりは薄いながらもしっかりと続いています。
今でこそ、ヨーロッパの他の国を沢山見た中で「やっぱりポーランドが出発点であり原点」ということができるのですが、当初初めて海外長期生活をポーランドでするにあたっては、この国との縁というか結びつきが強すぎて、僕が他の国で住むことも、他の国と関わることも想像はできませんでした。
そういうこともあって、ポーランドでの生活が終わる際には、「次はどこで暮らそうか」ということを考える必要がありました。せっかく、20代はワーホリビザを使ってヨーロッパに滞在する権利を取得できるのですから、場所を変えても仕事・収入は変わらないのであれば、ヨーロッパにいられる間はできるだけ居続けたい、と。
ハンガリーを選んだのは「ポーランドに近い」という不純な動機。でもここで確実に世界は広がった
ちょうど、僕がポーランドでの生活を終える頃に「ハンガリーでワーキングホリデーが開始された」というニュースを知り、他の周辺国(チェコなど)とも比較をした結果、ハンガリーで生活をしてみることにしました。理由はいくつかありましたが、1つには、飛行機で2時間ほどでポーランド(1年以上住んだワルシャワ)にいけること、もう1つは「温泉がある」ことでした(自分は、溜まった疲れを落とすには温泉が必要だ、とポーランド生活で痛感したのです)。
実際、それまでハンガリーには行ったことがなく(ポーランドから帰国するまでに、4日ほどブダペストに視察にはいきましたが)、実質的に初訪問でいきなり生活、という流れになったわけですが、結果的に多くの人に助けてもらい、正直に言うとポーランド時代よりも質の高い生活を送ることができました。
このときに、「自分はポーランドが運命共同体だと思っていたけど、実はそうじゃないのかもしれない。世界はもっと広いし、20代半ばで自分の運命の場所を決めてしまうのはやっぱり違うんじゃないか」と思うに至り、マインドブロックが解けたというか、「もっといろんな世界を見てみよう」と思うようになりました。
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東欧から西欧を目指した理由
昔このブログで書いたかもしれませんが、僕は典型的な天邪鬼で、「多くの人が目指す場所には興味がないし、むしろ誰も行かないところに行ってみたい」という考えを強く持っていました。そういう精神性が、ポーランドで住む(というか、東欧を拠点にする)理由の最たるものだったのは、否定はしません(実際問題、オランダやフランスなど、ユーロ圏の西欧で生活をするのであれば日本以上に生活費用はかかりますし、別に住まなくても、旅行で行けばいいか、と考えていました。あと、ブログとかを書いても競合が多すぎて勝ち目が薄い、と思っていたのもあります)。
なので、「ヨーロッパの拠点は東欧にして、そこからいろんな場所に訪れる」ということを、2016年から2018年にはしていました。具体的に言うとバルト三国、モルドバ、ウクライナ、ルーマニア、クロアチア、チェコ、スロバキアなど。学生時代に訪れた国もいくつかはありましたが、ポーランドにいたときはその周辺国であるバルト三国やウクライナ、ハンガリーにいたときはバルカン半島の一部やルーマニア、モルドバ、チェコ、スロバキアなど、「行きやすい」場所に積極的に足を運んでいました。
ただ、そのうち、いわゆる「東欧」と呼ばれる地域の国は、大体訪れたことになりました。そこで、2019年にようやく「西欧のメジャーな国にも行こうかな」と思うようになったのです。
具体的には、フランス(のボルドー)、スイス、ノルウェー、ドイツなど。スイスは、世界最大の時計展である「バーゼルワールド」に合わせて、ノルウェーは友人が住んでいるのと、昔お世話になった方がいるのと。ドイツは、ドナウ川に沿って旅をしたり、ベルリンに行ったりミュンヘンに行ってみたり。そしてフランス(ボルドー)は、ワインの本場を訪ねてみたくて、という理由でした。
(実は、オランダには2017年に友人を訪ねて訪問しているのですが、イギリス、スペイン、ポルトガル、ベルギーには未だいけずじまいなのは、ここだけの話です)
で、なぜいきなり西側に行くようになったのかというと、「ヨーロッパの本流は西欧なんだな」ということを、2018年くらいに知ったからなんですよね。言い換えれば、「東欧にいても本物には出逢えない」と思ったというか、限界を感じてしまったのです。
そう思った根っこには、「東欧だけを見て満足して、30代になっていいのかな」という不安があったのも事実です。これまで天邪鬼として生きてきましたし、いまでもその気はもちろんありますが、東欧に入り浸っている周りの日本人の多くを見ていると、正直生き方として尊敬できる人は多くはなく、「この環境にいて悦に浸っていると、30代になってから苦労するというか、世界を何も知らないのに主語を大きくしてしまう残念な人間になってしまうのではないか」という思いが強くなっていったのです。
「本場を知る」という意味合いで、一番大きな動機付けは、「フランスのワインを知りたい」と思ったことでした。当時暮らしていたハンガリーは、知る人ぞ知るワインの産地ではあるのですが(特に貴腐ワイン)、僕も住んでみるまではそのことをほとんど知らず、住んでみてから様々なワインを飲んで、「ワインはおいしい物だ」ということを感じていくようになったのです。
が、残念ながらハンガリーワインの知名度は驚くほど低く、ほとんど知られていません(これは日本に戻ってからワイン関係の本を読んでから知ったのですが、国別のワイン紹介では、スペイン、ドイツ、オーストラリア、ニュージーランド、チリ、アメリカなどは全て載っているのですが、「ハンガリー」は、紹介すらされていないことが普通でした)。
で、これまた当時は、「ハンガリーのワインはおいしい」と思いながら悦に浸っていたのですが、全く知名度がないことを知ってから、「なぜこんなに知られていないのか。もしかしたら、その理由を知るためには、いわゆる本場(仏ボルドーあるいはブルゴーニュ)に行って、そこのワインを飲んでみないといけないのかもしれない」と考えるに至ったのです。
そう考えるようになってから、行動範囲を西側に広げたのは、自分にとって至極当然のなりゆきでした。結局、19年に訪れたのはブルゴーニュではなくボルドーだったのですが、これは単純に、ハンガリーからLCCが飛んでいたというのが大きかったです(ブルゴーニュは、近くの空港から鉄道などで数時間移動しないとたどり着けません)。
結局、ボルドーに滞在した3日ほどでいくつかワインを飲んで、自分のワイン観がひっくり返る、というかびっくりするほど広がる一杯に出逢えたのですが(詳しい話はこちらのnoteを参照)、このときに、「本当に東欧だけにいるとまずいかもしれない」とも同時に思いました。
(これとは別に、その数ヶ月前にスイスも訪れて、本場の時計を直に見た、というのも西欧を見ておかないといけない、と思った理由の1つでした)
結局のところ、「ヨーロッパ」という枠組みで捉えると、中世から近代にかけての数々の思想家や芸術家が出てきたのも、多くが西欧からですし、ワインや時計などの「本流」を考えてみても、そこはやはり「西側」である、という結論にたどり着いたのでした。
当時から、仕事においても仕事以外においても「本物とは何か。本物を目指すにはどうすればいいのか」ということを考えていて、その結果「まず本物を知る。本物に触れる」ということが大切だと思ったのが、西欧に目を向ける直接的なきっかけになったのです(逆に言うと、「東欧に本物はいない」と思ったのでした)。
結局のところ、19年に新しく訪れた場所はスイス、フランス(ボルドー)、ノルウェー、ドイツ(バイエルン州)と限定的になってしまいましたが、この1年で確実に「もっと広い世界を知ろう」と思いましたし、何もなければ、2020年以降は、「1年のうち5ヶ月ほどをヨーロッパ、5ヶ月ほどを日本、残り2ヶ月ほどを新しい場所(北米や東南アジア、中東など)で過ごしてみるのもいいかも」と考えるようになりました。
そういう意味で、19年に「もっと広い世界を見よう」と思って行動したことが、今の仕事への向き合い方や哲学、美意識をより洗練することに繋がったのではないか、と思います。
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