すっかりこのブログもご無沙汰になってしまいました。
2016年の7月に、ポーランドでのワーキングホリデーを利用して始まったヨーロッパ生活は、ところを変えて2020年の5月、ハンガリーから帰国するまで実に約4年にわたる、自分でも想像を超えるロングスパンのものとなりました。
2016年の4月にこのブログを立ち上げ、6月までは事前準備の様子を、7月以降はポーランドでの生活、及びポーランド生活時に訪れた周辺諸国の旅行情報、そして一旦帰国後、再度ヨーロッパに拠点を移してハンガリーで生活を始めてからは、ハンガリーやその周辺諸国の生活・旅行情報を記事にして、淡々と記事を更新してきましたが、帰国から約1年経った2021年5月から7月までは、諸事情により一切ブログの更新をしていませんでした。
(確認したところ、一時的に日本にいた2018年の2月も、更新は1回もしていなかったようです)
さすがに3ヶ月も更新をしていないと、自分でもどうしたものか…という気持ちになってしまうのですが、私の中では、2020年5月の帰国が(結果的に)「完全帰国」ということになったこともあり、その4年間を振り返り、今後の展望をまとめる機会を作らないといけない、という思いが強くなったこともあり、今回また、こうしてキーボードを叩くことにしました。
今まで、このブログでは現地の旅行や生活情報といった「一次情報」を詳細にまとめることでポジション取りをしてきましたが、もう私が現地にいないこともあり、そのようなスタンスでこのブログを運営し続けることは、やや困難になってしまったのも事実です。もちろん、将来的に再渡航する可能性がゼロではないわけですが、いつのこのことになるかも分かりませんし、実際問題確率は低いと思います。
そういうこともあり、今回は一旦の区切り、という意味合いも含めて、私のこれまでのヨーロッパ生活を総括する形で記事を書き上げよう、と思うに至りました。
正直な話、こうやって記事を書き始めるまで、構成などは一切考えていないのですが、「この4年間で得られたこと」というテーマに限定して、以降、私の知見をまとめて共有していきたいと思います。
では早速進めていきましょう。
目次
スポンサードリンク
①多くの人たちとの「斜めの関係性」(特にポーランド時代)
2016年7月から2017年11月まで生活していたポーランドでは、ほぼ首都のワルシャワにいました。この間に得られた財産として真っ先に頭に浮かぶのが「斜めの関係性となる人たち」です。
「斜めの関係性」というのは、横でもなく縦でもない、ということなのですが、20代中盤・無所属のフリーランス、という立場を最大限に生かして得られた社会関係資本、と言えるでしょう。自分より若い交換留学生の方はもちろん、結婚をされて現地で活動をされている方や駐在で渡航されている方など、「日本で引きこもってフリーランスをしていたら絶対に出逢えなかったであろう」人たちと、本当に多くの縁があったのは、4年間の生活で一番価値の高いものだと、未だに自負しています。
私は本業でフリーランスの特許翻訳、という仕事をしていたわけですが、こういう斜めの関係性に恵まれることで、本業とは関係のない「キャリアセミナー」などの、非営利的な(?)取り組みも行うことができたわけです。
関係する記事としてはこの2つがありますが、
恐らく、日本でフリーランスを続けていると、自分より若い学生の子に出会うことはまずなかったでしょうし(そもそも、仕事をしていて学生と出会う機会は多くはありませんし、意識して作らないといけない)、そういう関わりから得た着想を形にするに当たって、真剣に話を聞いて下さってバックアップをしてもらった現地在住の人生の先輩方のサポートがなければ、形にすることもできなかっただろうと考えています。
そういう意味では、渡航当初の一番の目的は「日本で生活をしていても出逢えないような人たちとの出会いを作る」ことだったのですが、その目的は十二分に達成されたと思います。
②「自分はどこでも生きていける」という確証のある自信(ハンガリー生活時代)
このブログの初期からの読者の方は、僕がポーランドと不思議な縁を持っている、ということをご存じかと思います(このブログでおおっぴらに書いたかどうかは、もう覚えてないのですが)。
なので、当初ポーランドに渡航したときは、「これからの人生良くなるしかない」という、根拠のない自信であふれていたわけです。
もちろん、1年間の生活の中では色々とトラブルも嫌な思い出もありましたが、総合的に振り返ると、「自分の地の利が生かせるポーランドという場所で思う存分動き回った生活に悔いなし」という結論に落ち着くんじゃないか、と思うわけです。
が、当然ながらその生活が1年で終わると、やり場のない不安感というか心配がまとわりついてくるわけですね。
もともと、1年で完全帰国、ということもあまり真剣に考えていなかったので(何よりも機会が勿体ない)、「今度は別の国で暮らしてみよう」という考えに至ったわけですが、自分の色んな事情を踏まえると、ポーランドにもほど近くて物価も比較的安い、ハンガリーが第1候補となったわけです。
まあ結論を先に言うと、実際にハンガリーで生活をしてみると良いことだらけで、ポーランド以上に気に入ってしまったわけですが、当初「ハンガリーに行こう」と思った時点では、この国に行ったことがなく、「下見」として訪れたのも、一度帰国する直前のタイミングで3泊4日とかの短期滞在の1度の機会しかありませんでした(しかも秋で天気が悪く、全くイメージがない)。
なので、正直なところ、「今までほぼ行ったこともない国で、自分は上手くやっていけるのだろうか…」という暗澹たる気持ちに苛まれていた、というのが、ハンガリー渡航前の私の率直な気持ちでした。
が、実際に移ってみて生活をしてみると、街の景色の良さや近隣諸国へのアクセスの良さなどもあって、この国が気に入ってしまいました。何より、今までと同じスタイルで生活を続けるにあたって「新しい国では上手くいくかどうか分からない、ポーランドで上手くいったのは、ただの上振れだったんじゃないか」というような気持ちが、正直なところ心の奥底にあったわけです。
………が。
ハンガリーでも、ポーランドで培った生活スタイルや習慣を取り入れることで、特に何の問題もなく生活を続けることができた。全く知り合いのいない場所でも新しく知り合いを作ることができたし、交友の場も広がり、仕事もこれまでどおり続けることができた。
このときに初めて私は、「あ、自分はどこでも生きていけるんだ」という感覚を、腹落ちして理解したわけです。
まあ、ハンガリー(というかブダペスト)を気に入ってしまったので、この場所に居られるだけ居続ける、という選択肢を取ったのですが、今日本に戻って、国内で引っ越しして同じように仕事をしている、という状況でも、街選びや住む場所(区画)選びの基準は、間違いなくハンガリーで培った基準に基づいているわけです。
ハンガリーに住む前の自分がもし、「ポーランド生活で満足した」という道を選んで、その後日本で生活をしていたら………。人生に「たられば」はありませんが、やはり今ほど自分の可能性や人生に自由度を感じてはいないでしょうし、心の中に密かに持っている自信も、今ほど多くはなかったかもしれません。
スポンサードリンク
③自分の知らない場所をあまた訪れ減っていった執着(ハンガリー時代)
これは②とも関連する内容なのですが、ポーランドからハンガリーに移ったことで、自分にとっての「場所のこだわり」というのが減っていきました。
どういうことかというと、ポーランドにいたときは「とにかくポーランドの国内、それか近隣諸国に行く」といった優先順位の付け方で、とりあえず「ポーランドを知り尽くす」という考えが強かったんですね。
実際、ポーランドで生活していた時に訪れた国は、殆どが周辺国(チェコ、バルト3国、南コーカサス3国、ハンガリー、ウクライナ、ドイツ)で、近隣以外だとオランダとアイスランドの2カ国のみ。オランダは友人が住んでいて、アイスランドは音楽フェスへの参加(というか好きなアーティストの追っかけ)という理由だったので、「国を知りたい」という純粋な好奇心(?)は、間違いなく東欧近辺に向いていたんですね。
が、ハンガリーに移ってからは、「ポーランド周辺は一通り訪れた」という理由もありますが、新しく訪れた国が多数増え(ルーマニア、モルドバ、クロアチア、モンテネグロ、スロベニア、スイス、イタリア、マルタ、ベラルース、そしてアフリカのモロッコ)、昔行ったことはあるけどポーランド時代には見向きもしなかった国(ギリシャ、ノルウェー、フランス、スロバキア、オーストリア)にも多数足を運びました。あとは、ブダペストを流れるドナウ川に沿って旅をしたい、と思って、ドイツのレーゲンスブルクからパッサウ、ウィーン、ブラチスラバを、各都市で川を見ながら旅行をする、という「テーマのある旅」もやってみたり。
また、ハンガリーがワインの国、ということもハンガリーで生活を始めてから知ったのですが、「なぜハンガリーのワインはこんなに有名なないのか」という疑問を持ってから、「本場フランスを訪れないといけないな」と思うようになって、ボルドーを訪れてみたり。
※関連記事は以下の3つ
なんと言いますか、ポーランドにいたときは「ポーランドがヨーロッパの中心」という偏狭な(笑)物の見方に囚われていたんですが、そこから軸足を移したことで、自分の移動の自由度も高まりましたし、世界の見方、捉え方も変わったのかな、と。
軸足を移す、というよりは「中心軸を撤去した」というような表現のほうが適切なのかもしれませんが、ハンガリーに移ったことで、「別にポーランドに囚われる必要はない」「自分がこんなに知らない世界が沢山あるのか」「しかも、今まで”これはハイレベル”と思っていたものが”ちんけ”に思えるほど、「世界にはこんなにスケールが大きくて美しい世界があるのか」ということを肌感覚で知りましたね。
(思い返してみると、クロアチアのドブロブニクの景色、ボルドーで飲んだワイン、そしてノルウェーのプレーケストーレンの景色、の3つの経験が、自分の価値観をアップデートした大きなきっかけだったと思います)
つまりですね、過去の自分に「お前はなんてちっぽけな世界にとどまっていたんだ」と、自分で説教をしたくなるような気分だったわけです(笑)
そういう意味では、僕にとって、ポーランドは「全ての出発点」であり、ハンガリーは「自分の世界を果てしなく拡げられた場所」だったな、と。まあ生みの親と育ての親、とでもいいましょうか…。
なので、
・色んな立場の人と広く深く交友を持って
・自分が知らない世界を沢山知ることができて
・帰国した今でもそういう関係が続き、過去が糧になって今を生きている
という理由から、本当にヨーロッパで生活をして良かったな、と思うわけです。
余談:日本にいると成し遂げられなかった金銭的負担の軽減も見過ごせない
これは半分おまけの話になりますが、日本より物価の低い東欧に身を置きながら、日本の同世代の平均サラリーよりも多く稼ぐ仕事をしていたことで、貯金が爆速で貯まったことと、「同じ経験を安値で買える」という2つのメリットもありました。
特に「経験を安値で買える」ことについては、こちらのブログ
でも昔にまとめているのですが、このアービトラージを利用することで、ビジネスクラスを往復20万円弱で利用できたり、3万円程度でドナウ川上空をヘリ遊覧したりすることができたわけです。
貯金も、日本で4年間過ごしていたら同じ額は貯められなかったですし、仮に貯められたとしたら、全くもって経験値の総量が少なくなっていたと思います。なので本当に感謝しかありませんね。
スポンサードリンク
欧州生活を踏まえてのこれから
私と面識のある方の中には、「またヨーロッパ行かないんですか?」と聞いて下さる方もよくいらっしゃるのですが、自分自身の答えとしては「もうヨーロッパ生活はいいかな」という感じなんですね。
というのも、気軽に渡航ができなくなる前、2019年の年末の時間のあるときに、実は「もうヨーロッパも飽きたかなあ」と思うことがあったんですね。
こう言うと自慢をしている感じになってしまうかもしれないのですが、ヨーロッパ生活中に、ほぼヨーロッパの国は訪れてしまいました。未だに一度も行ったことない国がイギリス、ベルギー、スペイン、ポルトガルにリヒテンシュタイン、セルビア(飛行機の乗り継ぎの間に半日ほど滞在したことあるのですが、これは訪問にカウントできないくらい薄い滞在でした)、アルバニア、マケドニア(北マケドニア)くらいなんですよね。
要するに、西欧の一部の主要国とバルカン半島の一部を除いて、一通り訪れたと言えば訪れてしまったのです。
そして、4年もいると、ヨーロッパと言えど、細かい建築様式の違いなどはありますが、「街並みもだいたい一緒」と感じてきます(これは自分自身の知識の浅さも関係していると思いますが)。
なので、2019年の年末の時点で、「これからは、訪れたことのない国やエリアに行ってみようかなあ」と、実は考えていたんですね。
具体的には、5ヶ月ヨーロッパ、5ヶ月日本、残りの2ヶ月を東南アジアやアメリカなどの、「未開の地」への訪問に使ってみるのもいいんじゃないか、と考えていました。
「ヨーロッパ半年、日本半年」というのは当時から割と現実的に考えていて、ヨーロッパに1年居るメリットもそこまで感じられなくて、「まだ行ったことのない場所に行くのであれば、3ヶ月滞在でスポットで訪れる/6ヶ月の滞在で訪れる」というのが一番現実的だと思ったのです。
(これには、日本の食事のコスパとおいしさが神がかっている、という理由もありました)
まあ要するに、「1年中ヨーロッパにいる必要はないかなあ」、と考えていたわけですね。だって冬は寒くて何もできないし、夏は太陽が長すぎてぐっすり眠れない(笑)。
そんな風に実は考えていたので、実はもう、ヨーロッパ生活というか、ヨーロッパにそこまで未練もないわけですね。正直、イギリス周辺の未訪問国であれば、2ヶ月くらい時間を確保できれば回れてしまいますし。
なのでこれからは、日本でもある程度拠点を確保して、そこにも軸足を置いて、世界とも関わり続けていこうかなあ、と考えているのです。
自分はもともと、あまり未練もなく生きているし、やりたいことを先延ばしにせずにやってきた人間なのでこんな感じなのかもしれませんが、今になって思うと、そういう気質だったのが幸いしたな、と思います。
今までは散々ヨーロッパで好き勝手に楽しく生きてきたので、これからは日本で自分のできること、やりたいことを少しずつ追求して形にしていきたいと思いますね。
スポンサードリンク
ちと被害妄想ではないですか。物価目当てで訪れる日本人が増えても最初のきっかけにす…