ポーランド第2の都市・クラクフには、第二次世界大戦時に作られた労働収容所(絶滅収容所ではない)のプワシュフ収容所、という施設がありました。
以前、クラクフにいる友人と一緒にこの跡地を巡ってきました。写真多めでその時の話を振り返っていきたいと思います。
目次
プワシュフ強制収容所跡地への行き方
プワシュフ強制収容所跡は、クラクフ市内から南にあります。
クラクフはGoogle mapでトラムやバスの停留所を検索できないので、このブログでも何度か紹介しているポーランド版都市内乗り換え案内サイト「jakdojade」で、目的地を「Dworcowa」と入力して下さい。
上の地図にあるマクドナルドがその停留所の近くにあります。ここがプワシュフ巡りの入口となります。
参考記事:ポーランド版乗り換え案内アプリ「jakdojade」の使い方
まずはアーモン・ゲートの家跡(復元中)から
このマクドナルドから西側(トラム路線から、並行する道路を挟んで反対側)に歩いて行くと、住宅地に入っていきます。
すると、古めの建物が並んでいる中に、一つだけ明らかに最近建てられたと分かる家が。
これは、当時プワシュフ強制収容所の所長を務めたアーモン・ゲートが住んでいたとされている家。数年前までは廃墟だったようですが、最近買い手が見つかって、ご覧の通りリノベーションがされているようです。恐らく買い手が普通に住むのだと思いますが、せっかくなので博物館とかにすればいいと思うんですけどね。
ちなみにアーモン・ゲートはサディストの極みとも言える人で、毎朝狙撃銃で囚人を狙撃するとか、ちょっとどころじゃない「ヤバい人」でした。
ここから、道路を戻って更に進んで行くと、Szary domという、こちらも世界大戦時に使われていた建物が残っています。
ここも、現在は普通に人が住んでいるみたいですね。
ここからは小高い丘を散策していきます。
こういう石碑は、基本的にユダヤ人など、世界大戦でナチスの犠牲になった人々を追悼するものです。石碑によって「ハンガリーのユダヤ人」「ポーランドのユダヤ人」など、地域毎に分かれているのが特徴ですね。
今はただの野原ですが、当時はさぞかしおぞましい光景が広がっていたんでしょうね。
ここは、ユダヤ人墓地、なんですが、全然石碑が残っておらず、土台があるのみです。
これが唯一残っている石碑ですね。
周りを見渡せば、普通の住宅街が広がっています。
これは戦後に作られた追悼の碑。プワシュフの中で一番存在感があります。
ここからは、プワシュフの中のほうに歩いて行きます。
大戦時の施設跡。有刺鉄線が張り巡らされていた跡も残っています。
少し歩くと、突如崖が姿を現します。ここはかつての採掘場で、映画「シンドラーのリスト」でも使われました。
崖の隣を歩く場所もあるんですが、柵とかがないので、冗談抜きで昼間でも気をつけて下さい。落ちたらたぶん生きて帰れません。
採掘場跡の下(谷の部分)に降りていく所には、こういう廃墟も残っています。
これは、墓石が地面に埋め込まれている場所。ここもシンドラーのリストの映画で登場しているのですが、さきほど見てきた、お墓に土台だけ残っていたところの墓石をここに移したものだと思います。
採掘場跡はこんな感じ。近くまでは行けますが、建物には上らないように注意書きが書かれていました。それでも、他の観光客は上ったりしていましたが…。いつ崩れるか分からないくらいに老朽化していると思います。
一通りみたらクラクス山へ
ブログではザッと見ていますが、じっくり見て回ると余裕で2時間は超えます。一通り見たら、最後は少し高台になっている「クラクス山」へ行きましょう。
こんな感じ。天保山かっ!って話ですね(それよりは高いですけど)。
山頂からはクラクフと周辺の景色を一望できます。風光明媚、ってわけでもなく、クラクフ旧市街のランドマークも分かりにくいので、初見でどの建物が何かは分かりにくいですが、ある程度ポーランド通の方であれば一通りは分かるでしょう。
旧市街以外の方角を見るとこんな感じ。まあのどかな風景が広がっています。
クラクフ・プワシュフ強制収容所跡は玄人向けのスポットですが、長期滞在される方は是非1度訪れてみて下さい。1人で行くと迷う可能性もあるので、何人かで行くのがベターですね。
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