「好きなこと」よりも「興味のあること」にエネルギーを注ごう
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この前のワルシャワセミナーで少し話をした内容に、「好きなことよりも、興味のあることに増やしていこう」といったテーマがありました。

 

これは、僕が人生28年くらい生きてきた中でも、まだよく「自分の好きなことが分からない」、ということもあったので、「人生28年くらい生きても、自分の好きなことなんて分からないし、何かを続けていく中でそれが好きになるかもしれないし、好きだと思っていても、どこかで嫌いになるかもしれない。それよりも、もっと多くのことに「興味を持つ」ようにして下さい」というメッセージを伝えたかったんです。

 

そして、セミナーが終わってからの懇親会で、このメッセージをより具体的に言語化できることができたので、今回はこのことについてまとめてみようと思います。

 

目次

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「好きなこと」<「興味のあること」

今、世間では「好きなことを仕事にする」「好きなことで食っていく」という考え方が、以前より市民権を得てきています。小学生の将来の夢に「YouTuber」が含まれるようになってきたのも、そんな傾向を反映しているのではないでしょうか。

 

ただ、この「好きなこと」という言葉が、実は非常に曲者です。というのも、そもそも「好きなことって、具体的にどういうこと?」という、更なる問いを自分自身に投げかけたときに、恐らく多くの人はきちんと答えることができないからです。

 

僕はセミナーの自己紹介の中で、「趣味は将棋と鉄道でした」と話して、「家に引き籠もるのが基本的に好きなんです」ということも伝えました。自分がそういう人間なので、今も基本的には部屋に籠もりながら仕事をして、時々一人でぶらり旅をする、というスタイルで生きている、というのが、一番簡単に自分のことを分かってもらえるかな、と思って、こういう話にしたのですが、かといって、もちろん僕は、自分の興味がこれらに止まらない、ということはある程度知っています。

 

実は今回のセミナーには、音大や美大といった、芸術系の大学の学生も多く参加して下さいました(とは言っても、人数比で言うと全体の半数以下でしたが)。正直な話をすると、僕は楽器を演奏することもできませんし、絵を描くのも大嫌い(というか苦手)です。カラオケで歌を歌ったり、自分の好きなアーティストの音楽をYouTubeやiTunesで聞くのはもちろん好きですが、ピアノを初めとする楽器はほとんど演奏したことがありませんし、美術は、中学生の時の美術の時間のテストで絵を描く(か、デッサンをする)課題があって、自分では「まずまずできたかな」と思っていたのに、戻ってきた採点結果を見ると惨憺たるものだったので、「美術って面白くないわ」と思って、嫌いになってしまいました。

(ちなみに、以前アンパンマンの「ロールパンナちゃん」を描く、ということを知り合いとしたときに描いた絵を見せたら「これはロールケーキやろ」とツッコまれてしまったくらいに、絵を描くのは下手ですし、自分でもコンプレックスを持っています)

 

ただ、僕は楽器を弾くのも絵を描くのも嫌い(苦手、あるいは好きではない)ですけれど、自分とは全く違う世界に身を置いている人が、どういう感覚を持って、どんな風に自己表現をしているのか?ということには興味があるわけです。

 

僕は、世間的に言うと「言語表現」のほうが好き(で得意)な人間なので、こういう風にブログを書いたり本を書いて自分で言語表現をしたり、あるいは本や他の人のブログを読んで、他人の言語表現から勉強する、というのが好きなわけです。

 

逆に言うと、音楽や絵画という方法(非言語的な方法)で自分を表現することは苦手ですし、美術館(特に現代美術系)に行って、そこにある作品を鑑賞して気づきを得る、というのが非常に苦手です(音楽を聴くのは好きなので、コンサートには時々行きますが)。

 

つまり、僕は「非言語表現が嫌い(好きではない)」ことは事実なんですが、これは何も、「非言語表現に興味がない」こととは全く違うわけです。

 

むしろ僕は、自分がそういう表現ができないから、音楽や絵画によって自己表現をする人がどんなことを考えているのか、とか、どんな風に勉強をしているのか、ということには興味があるわけで、ある意味、「全く違う世界にいる人と話すことが好き」である、とも言えるわけです。

 

この区別ができることは実は非常に重要です。なぜなら、多くの人は、「自分は非言語表現が好きじゃない(嫌い)」ということを、そのまま「非言語表現に興味がない」ことと勝手に等価にみなしてしまっているからです。

 

あるいは、僕の場合でも、「言語表現が好き」というのは実は表面的なもので、実は「言語表現によって他者と関わることが好き」「言語表現によって他人に良い影響を与えることが好き」ということが、本当に好き、あるいは興味があることの場合だってあるわけです。

 

ですから、僕がセミナーで話したこのテーマは、参加者だけに伝えたかったこと、と言うよりは、今世間で叫ばれている「好きなことをうんたら」という風潮に対して、自分なりのアンチテーゼだったわけです。

 

「好きなこと」なんてすぐには分からないし、嘘かもしれない

 

上でも少し書きましたが、「自分が本当に好きなこと」なんて、そんなに簡単に分かるものじゃありません。僕はこれまで何年も様々なブログを書き続けてきているので、「ブログを書くのが好き」と思われているかもしれませんが、いくらブログを書くのが好きでも、誰にも読まれず、誰に良い影響を与えることもできないブログを書き続けていたら、恐らくそれは「好きなこと」にはなっていないと思います。

そうではなくて、自分とこれまで関わりの会った人達によりよい影響を与える、自分という人間と出逢ったことでより多くの物事の見方や考え方を得られる、ということを、相手に理解してもらえるのが、ある意味「好きなこと」と言うことができるかもしれません。

 

そう今世間で騒がれている「好きなこと」というのは、ものすごく表面的な意味合いしか持っていない、とも言えるかもしれません。「好きなことを仕事にする」というと、例えばブログを書いて稼ぐ、とか、世界を旅することを仕事にする、というような例が出てくると思いますが、「ブログ」にしても「旅」にしても、それは単なる手段でしかないわけです。

 

むしろ、もっと自分の心の奥底に深く深く入り込んで、「自分が興味のあることは何なんだろう?」ということを徹底的に向き合わないと、「好きなこと」なんて分からないものかもしれません。

 

仕事をしている人の話を聞くと、「この仕事を通して相手が良かったと思ってもらえるのが一番嬉しい」というエピソードがよくありますが、あれは実は、この話を上手く体現しているのかもしれません。

 

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「人間は社会的動物である」ことが本当ならば

 

「人間は社会的動物だ」と言ったのは古代ギリシャのアリストテレスでしたが、これがもし本当なら、人間は世の中との関わり(=他者との関わり)によって、自分の存在を受け入れることができる生き物でしょう。そうであれば、「どのように他者と関わって、何を相手に提供すると相手が喜んでくれて、自分も嬉しくなるのか」ということが根本にあって、それが人間共通の「好きなこと」と言っても過言ではないでしょう。

 

僕は、1日のうち8時間や10時間を他の人とリアルで接するのは無理(エネルギーがなくなってしまう)ので部屋に籠もっていることが多いですが、それでも、他者との関わりによって自分の存在を確かめることができているのは間違いありません。

 

心の奥底にある「興味あること」に徹底的に向き合う

 

少し話が大げさになってしまいましたが、案外、人間が好きなことは「ブログを書く」ことや「ピアノを弾く」ことや「絵を描く」ことではないのかもしれません。それはあくまで表面的なもので、本当は、「文章を通して他人と関わる」「音楽によって人に感動してもらいたい」「絵によって他人に新しい世界を知ってもらう」ことに興味があるのかもしれないのです。

 

そして、表面的な「好き」に縛られずに、自分がこの世界の何に興味があるのか?という本質的なことが少しずつ分かってくれば、今現在の表現(発露)方法に囚われずに自分の仕事ができるかもしれませんし、新しく自分で仕事を作れるかもしれないわけです。

 

「好きなこと」が表面的な「形あるもの」なのであれば、「興味があること」は内面的な「無形のもの」です。

もしあなたが20歳前後なのであれば、これまでの人生を振り返って「自分が興味のあること」を洗い出して、それに徹底的に向き合って下さい。その中で、新しく興味が湧いてきたことがあれば、それにも一生懸命に取り組んでみる。

 

興味の幅が広がれば、自然と知的好奇心の範囲も広がります。「今これをやっておけば将来役に立つ」ということはあまり考えずに、どんどん興味の幅を広げていきましょう。

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