僕がワーキングホリデーを使ってポーランドで生活をし始めたのが2016年の夏のことで、このときから本格的に、海外にも生活拠点を作って暮らしていく人生の幕開けとなりました。
小学校高学年のときにラジオ英語番組を聴いて英語の勉強を始めて以来、僕の中には漠然として「海外にはとても志が高くて素晴らしい日本人が沢山いる。自分もそんな環境に身を置いて、自分を高めて行きたい」という想いがありました。
そして、そんな高邁な理想を掲げながら、ヨーロッパの複数の国・街で生活を続けてはや3年。
甘かった。
上に掲げた自分の考えが、いかに甘いか、今までの暮らしを通じて痛感すること、両手の指に収まらず。
「海外には志も人としての器も高くて大きな人が沢山。そういう人こそが、日本にとどまらずにワールドワイドに活躍しているんだ」という僕の考えは、この3年間で物の見事に打ち砕かれてしまいました。
もちろん、今までの人生で素晴らしい日本人にも沢山出会ってきました。
でも、その割合を数えると、恐らく1割いるかどうか。
冗談抜きで、本当にそんなレベルなんです。
なので、今までは「これも人生経験だ」と自分に言い聞かせて、付き合う人、時間を一緒にする人を絞ってきましたが、もう自分もいい歳なので、今回はっきり断言することにしました。
海外にいる日本人の9割とは金輪際付き合わなくて大丈夫です。
なぜかって?
その理由は、僕がこれまでで出くわしてきた、豊富な事例と共に紹介していきます。
そして、この記事を最後まで読んだ方は、恐らく「海外にはこんな物騒な日本人がいるのか」と思うでしょう。もしかすると、「そんなのお前の経験だけで、そんな人間としか出会えないお前の器が小さいだけなんじゃないの?」というツッコミや茶茶入れが噴出するかもしれません。
でも、正直そんなことはどうでもいいんです。別に、今から僕がお話しする内容を信じようが信じまいが、それはあなたの勝手ですから、その判断に僕はあれこれ言うことはありません。
しかし、これから海外旅行に行く、あるいは海外に駐在に行く、ワーホリに行く、留学をする、結婚して移住する、起業する、という方には、是非このことだけは心の片隅に、きちんと置いて頂きたいのです。
それは、海外にいる日本人の中には、人の善意を踏みにじるような行為を平気でする、同郷を平気で騙す行為に手を染める、感謝の本当の意味を知らない奴らが、掃いて捨てるほど存在するのだ、ということを。
一体どういうことなのか?
ここからは、僕が出くわしてきた多くの「トンデモ日本人」を何人か紹介したいと思います。そして、彼ら彼女らを分析してみると、意外な共通点が浮かび上がることが分かったのです。
目次
①隣国の人様のアパートに勝手に転がり込もうとした乞食旅人
まず1つ目の例。
これは僕がポーランドで暮らしていたときに経験したことなんですよ。
僕はそれまで、海外では現地の色んな人の好意に甘えて、旅行中に泊まらせてもらうことも多くありました。
しかし、さすがに「施されてもらうばかり」では居心地が悪くなるもので、日本で暮らしているときには、日本を旅行している外国人を家に泊めるなどして、昔僕が受けた施しの恩返しを、別の人に対してやっていたのです。
そして、同じことはポーランド(ワルシャワ)で住み始めてからも続けました。
というのも、当時借りていたアパートは1人で暮らすには持てあますほどの大きさで、どうやってもスペースが余ってしまう広さの物件だったのです。
なので、「面識のある人限定」という条件付きで、知人を時々泊めることで、僕がそれまでに受けた恩恵をまた、別の人に還元するようにしていました。
そんな中、ワルシャワで暮らし始めてから2ヶ月後くらいに、一度ある知人を家に泊めたのです。
その人にはそれまでも何度かお世話になっていたこともあったので、自分としても寝床の提供くらいはさせてもらいたい、という気持ちもあって、2泊くらいしてその人は、隣国のウクライナに旅行に行ったのでした。
その後もメッセで連絡を取ったりしていたのですが、部屋に泊めてから数ヶ月後のとある朝、メッセンジャーを確認したらその人からの不在着信が履歴に残っていたのです。
その着信は朝6時くらいにかかっていたようで、その時間はまだ寝ていた僕ですが、何かあったのかと、不在着信に気づいてすぐ、折り返しの電話をかけたのです。
事情を聞いていると、どうやらウクライナから日本に戻る飛行機に乗れないというトラブルに遭ってしまったようです。
そのトラブルというのは、安い航空券を発券したら、経由地にベラルーシ・ミンスク~ロシア・モスクワの空路移動が含まれていて、この区間はたとえ飛行機に乗るだけであっても、日本人はベラルーシのビザが必要なことを知らずに、空港で「この飛行機には乗れません」となってしまった、というのです。
そして、話を聞いているとどうも「今からワルシャワに行くとしたら、またアパートに泊めてくれないか?」ということで。
まだワルシャワ行きのチケットは取っていないけれど、泊めてもらえる?泊めてもらえるならすぐにチケットを取って向かうけれど。なんとかかんとか。
そんなこと言われても、こっちはまだ寝起きで頭がきちんと整理されていない状態で、仕事の予定も考えたら、いきなり家に泊めてくれなんて言われても(しかも、まだこっちに来るかどうかも決まっていない人を)泊められる準備なんてできていません。
自分の頭は半ばパニクっている状態でしたが、そこで相手からの一言が、決定的でした。
「ねえワルシャワ君、家泊めてくれない?ww」
僕はなぜか、その人から「ワルシャワ君」というあだ名を付けられていて、向こうも搭乗拒否に遭って気が動転していたのか、高めのテンションでお願いしてきたのですが、その一言でこちらの堪忍袋の緒が切れました。
いや、人にお願いする立場でその言い方はないでしょ?なんですか、半笑いで「ワルシャワ君」って?
もちろんそんなことは相手に向かって言いはしませんでしたが、その一言でこちらがカチンと来たのも事実。
「あ、この人は、俺を上手く利用して、自分は一銭もお金を払わずにこのトラブルを乗り越えようとしているな。ただの乞食やん」と思って、「すみません、突然そういうこと言われても、僕も仕事の予定があるので今回は無理です」と丁寧に断りました。
その時に相手がどんな反応をしたのかは、もう3年ほど前のことなので覚えていませんが、僕の中ではこの一件でこの人との縁は切れてしまったかなあ、というのは事実。
さすがに、「今から家に泊まらせてくれるならチケット取ってそっちに向かいますよ」なんていう、上から目線で自分は他人を利用するだけ利用してやろう、と思っている人とは、付き合いたくないですよね。
もう、この出来事からは3年ほど経ってしまいましたが、未だに僕は、電話越しに抱いた不快感を忘れはしません。
②自分のヘマで無くした荷物を探しに行かせた旅人
続いては、少し変わった理由で自分の荷物を無くした人の話。
あまり具体的なことは書きませんが、「普通そんなミスしやへんやろ」というミスをして、自分の荷物をバスの中に忘れてしまって、旅に必要な荷物を全部無くしてしまった旅人に出会ったことがありました。
ただ、その人が調べて行くうちに、どうやらバス会社のターミナルがある街のオフィスで、一式無事に保管されている、ということが分かったのですが、いかんせん本人が日本に戻っていて、取りに行くに取りに行けない状態。
そこで、その荷物が保管されている街が、僕が割と訪れる街(住んでいる国とは別の国にある街)だったので、その人から「もしかして、この時期にこの街に行くことはありませんか? もしあるなら、荷物を確認しに行ってもらえませんか?」という相談を受けたのです。
そして幸か不幸か、僕はその時期にちょうど、その街を訪れる予定があったんですね。
もともとそこまで予定が詰まっていたこともないので、自分もこれまで、旅をしている中で色んな人に助けてもらったことがあったから、という気持ちもあって、街に行ったときに、その荷物を確認することにしたんですよね。
が、実際に確認しに行ってみると、「たとえ荷物の所有者じゃなくても、確認しにきた人が引き取らないといけない」と言われる一点張り。
どうしようもないので、その人にも確認して、その街にある大きな郵便局から日本まで、国際郵便でそれらの荷物を送ることにしたのです。
まあ、荷物自体はきちんと送れたのですが、問題はその仕事料をどうするか、ですよね。
僕はその相談を受けたとき、やり取りをする中で「今回対応してもらえるであれば、これくらいは支払させてもらいたいと思います」みたいな相談(というか提案)があると思っていたんですよね。
でも、やりとりをする中で一向にそういう提案が向こうから出てこない。
そのまま、僕が日本まで荷物を送る段階まで来てしまったわけです。
当初僕は、「こっちから仕事料の話をするのも野暮ったいし、郵送にかかった費用だけ振り込んでもらおう」とは思っていたのですが、どうも違和感を持ってしまって、「この人は、他人に別の国まで行ってもらって荷物を確認して送ってもらったのに、チップや感謝料すら払わないのか…?」ということを考えるようになってしまいました。
そこで、代金を頂戴するときに「2割仕事料として頂戴ね」と言って、その分はきちんと払ってもらったのですが………。
未だに、あのときにチップの話をこちらからしなかったら(こちらからするのは無粋なのでしたくないのですが)、その人は本当に「郵送代金」だけを耳を揃えて払っていたのか? それともプラスアルファで払っていたのか?というのを考えるんですよね。
でも、多分「命の次に大事な私の荷物を送ってくれてありがとうございます」というお礼の言葉はあったので、恐らくチップの話をしなかったら、きっかり郵送代だけ払っていたんだと思いますね。
だって、本当に命の次に大事な荷物だったら、「チップは2割でいいよ」と言っても、「色々感謝の気持ちもあるので、5割チップで払わせてもらいました!」みたいな対応をすると思うからです。
まあ、どんだけ自分の命に値打ちないねん、なんて思いながら、この一件でその人との縁もプツリ。
ちなみに僕が相手の立場でヘマをして、同じように荷物を別の国まで確認しに行ってもらうのだとしたら、
・もともと予定がなかったのに取りに行ってもらえる場合は、渡航費と宿泊代、それに郵送代全て負担+振込時にそっとチップを何割か添えて払う
・たまたま予定があって行ってもらえるのだとしたら、事前に「航空券代と宿泊費の半分を郵送代にプラスで支払させてもらおうと思いますがどうですか?」と聞いて、「別に郵送代だけでいいよ」と言われても、プラスアルファできちんと支払うと思います。
それが、物事を相談する側の人間の基本的な立場というか、相手に対する最低限の姿勢だと思うので。
③数百円の割り勘ができなかった吝嗇系旅人
続いては、何かの拍子に出会った日本人の旅人。
この時は、他の日本人と一緒にご飯食べましょう、ということになったのですが、外食よりも、スーパーでお酒とおつまみを買って、宿のコモンスペースを使って話しながら時間を過ごしましょう、ということになったんです。
が、食材を買うときに、その国に流通しているのが独自通貨で、その通貨を多く持っていない人がいるとかの問題で、「各自で食材をカードで買って、後で割り勘しましょう」ということになったのです。
ただ、その中の1人が、「いや、私これとこれは食べないんで大丈夫ですよ。ただ、食べないんで支払もしないです」と言い張ります。
まあ、別に食べないのなら払ってもらわなくてもいいよなあ、と他の人達と話しながら、宿に戻って精算をすることになったんですが、ここで問題が発生。
確か4人で買い出しに行って、1人だけ「これは食べない」というものがあるので、それらだけは3人で割り勘しよう、ということになるんですが、「合計金額のうちいくらかだけ3人で割って、残りは4人で割り勘」なんて、ちょっと考えるだけでも計算が面倒になりそうなのは、誰でも分かりそうじゃないですか。
しかも、買い物した食材の合計金額を均等に4人分で割っても、どうやらその「この分は払わない」と言っていた人の追加の負担分は、たったの100円くらいなんですよね………。
それなのに、その吝嗇家は頑なに「これは払わないから」とのけぞり給い、まだ計算は終わらないという状態。
これには、さすがの僕も憤りを覚えましたよ。だって、たった100円払えば、この面倒な計算をすぐにでも済ませて、美味しいご飯が食べられるんですよ?
それなのに、当の本人はそんなことに微塵も気づかず、「払わない」の一点張り。そしてその隣では、必死に計算をしている別の旅人………。
突然、僕の中で何かがブチッと切れて、その吝嗇家に対して「いやあんたどんだけケチなんですか!」って、反ギレ状態で突っかかってしまいました。
一瞬その場の空気が凍ったんですが、結局その人は「均等に」払うことなく、3人と4人の割り勘を合わせて精算をすることになりました。
まあ、その人とはその宿での出会いだけに終始したのが幸いでしたが………
でも、なんで「100円」が払えないんでしょうね。
これが、割り勘にしたら自分が5000円多く払うことになる、だったら分かります。2500円でも分かる。1000円でも、まあ分からんでもないかなあ、という感じ。
でも、100円ですよ、100円。
その国だと、100円あってもバスの1回分のチケットすら買うことができないんですが、なんでそんな金額をケチるんや?やのになんで、異国を旅して宿に泊まるだけの経済力はあるんや?と、30年ほど世の中を見てきた僕には「???」でしかありませんでした。
ちなみにその人、僕よりいくつか年上だったみたいです。なんでやねん。
④人様のフィーから手数料をネコババする在留邦人
ここまで3つの事例は全て「旅人」でしたが、何も「ヤバい日本人」の属性は旅人だけではありません。海外で暮らしている日本人にもヤバい奴は想像以上に存在します。
そんな事例の1つ目が、「手数料ネコババ在留邦人」です。
一体なんのこっちゃ………という疑問をお持ちになった方もいるかもしれませんが、例えば想像してみて下さい。
ワーホリを使って暮らしていて、普段は日本と仕事をしているんですが、現地でフィーを払ってもらえる単発の仕事に関わってみて、そのフィーを現地通貨で支払う、となったような状態です。
このときに、現地の銀行口座を持っていればそこに振り込んでもらえば問題ないのですが、「そもそもそんな風に仕事をすることになるとは思ってなくて、銀行口座を開いていなかった」「現金は必要な時にキャッシングして用意するから、口座は持っていない」という方も、ある程度いるんじゃないかと思います。
これは、そういう状況で起こったと考えてみて下さい。
フィーを払ってもらえるのはいいのですが、肝心の振込口座を持っていなくて、しかも現金手渡しは先方の都合で無理だという。
こういうときに考えられるのは、現地に住んでいる、銀行口座を持っている日本人に力を借りて、一旦その人の口座にお金を振り込んでもらって、そこから渡してもらう、という方法が考えられますね。
ちょっと面倒な方法ではありますが、わざわざその仕事1回のために自分で口座を開くのも面倒ですし、口座維持手数料も考えると、ここは面識のある日本人に一旦お金を預かってもらう、という方法は、割と現実的だと思います。
でも考えてみて下さい。
そんな、信頼している日本人の力を借りて、いざお金を渡してもらう段階になって「手数料頂きますよ」と、何の前触れもなくいきなり言われてしまったら………?
これは僕が経験したことではないのですが、僕の知人がそういう目に遭ってしまい、しかもその加害者が、僕が紹介した人だったのです。
それまでに何度も、その(加害者になった人)とは会っていて、自分は「信頼できる人」だと思って紹介をしたら、お金のやりとりが発生した瞬間にこの有様。
結局、被害を受けた知人は、「1週間で数十ユーロ」という、バカにならない金額の「手数料」を差っ引かれて、そのフィーを最終的に手にしたのです。
これについては、「事前に契約を書面で交わしていなかった自分にも非があった」とその方は仰っていましたが、普通日本に住んでいても、お金のやりとりをするときにそんなことが起こるなんて想像しませんし、僕もまさかそんなことになると思って人を紹介したわけでもなかったので、未だに自分の胸も痛む事案のままとなっています………。
ちなみにこの加害者たる人、その国に長いこと住みながら、自営業として活動されているようで、立場上「お金」との向き合い方、付き合い方については人並み以上のものを持っているはずなのですが、たった数十ユーロのお金すらまともに稼げないような、困窮状態になっている可能性があることが、この一件にて明るみに出てしまいました。
もちろん、このトラブルが起こって以来、知人はその人との付き合いがなくなってしまいましたし、僕もその内容を吟味して、その加害者たる方との縁はきっぱり切りました。
しかし、たかが数十ユーロ、合計で100ユーロほどのお金だとは思うのですが、こんな「はしたカネ」ごときで、貴重な貴重な人間関係をぶった切ってしまい、更に困窮スパイラルに陥ってしまう在留邦人がいるなんて、失笑物。
同胞から、「一時的にフィーを口座で管理して欲しい」というだけのことで手数料をもらうなんてなかなかの器の小ささですが、まあそれをするにしても、事前に当人と話し合っていればいいわけなので、後出しジャンケンでこういうことをするのは不可解でしかありませんね。
この一件が、僕の中での「海外にいる日本人は大多数がヤバい」ということの仮説が大きくなっていった事件でした。
⑤クラファンで多額の支援をしてもらったことを忘れる大学生
そして、最後はこれ。
実は、この「事件」が明るみになったので、こういう記事を書くことにしたんですよね。
僕がポーランドに色々と縁あって、長いこと関わらせてもらったという話は、このブログでもどこかで書いていると思うので、ご存じの方も多いと思います。
ただ、ポーランドでのワーホリが終わって、次別の国行くか、となったときに、どうしてもポーランドとの距離は(物理的にも精神的にも)遠くならざるを得ないので、自分の中ではこの国との関わりは一区切りかな、と。
そう思っていたんですが、ワーホリしている間に出逢った人の中で、志を持って団体を立ち上げて活動を始めた人もいたので、自分は区切りの意味も込めて「この人達に後は任そうか」と、思ったんですよね。
だから、その人たちに対して、クラウドファンディングを通じて結構な額のサポートをしたんですよね。
それが2018年の初夏頃。
具体的な額は伏せますが、6桁のお金をサポートとして「ギブ」したんですよ。
それは、僕自身がポーランドに救ってもらったし育ててもらったし、そういう恩(気持ち)もあってのサポートだったんですよね。
クラファンなので、別に何かリターンを求めていたわけではないですし。
ちなみに、僕が初めて訪れたヨーロッパがポーランド、初めて海外生活をしたのもポーランド、そして会社を5ヶ月で辞めた後で、心身を療養して独立するきっかけができたのも、ポーランドだったんですよ。
言葉で表現すると陳腐ですが、まさに自分にとっては「命の恩人」です。
そういう想いというか、感謝の念が強いので、日本にいる間に外国人旅行者を家に泊めるときでも、ポーランド人は優先して泊めていたし、何なら顔パスで泊めるくらいの勢いで「ひいき」していました。
それくらいしないと、自分がこの国から受けた恩は返せないと思っていたし、むしろいくら何かに取り組んでも、一生かかっても恩返しはできないな………とも思っていました。
だから、自分ができることは何か、を改めて考えた時に「ポーランドに住んでお金を落として、この国の良さを知ってもらう」ということにたどり着いて、ワーホリを使って住まわせてもらっていたわけです。
でも、ワーホリも終わったからそれもし辛くなって、でもお金を使うことでこの国がより良くなるのなら、という想いもあって、クラファンで大きな額の支援をしたわけなんですよね。
でも、とうとう、そのサポートをした団体から、お礼の連絡が来ることはありませんでした。
いや、もちろんクラファンのプラットフォームを通してのテンプレお礼メールは届きました。でもそれだけで、代表の方からも、メンバーの方からも、ついに個別にお礼のメールが届くことはありませんでした。
いや、こんなことを書くと「一体お前は、他人に何を期待しているんだ?」と言われるかもしれません。そう仰りたい気持ちは、僕もよく分かる。
でも、僕は相手に、個別のお礼メールを送ってもらうことを「期待」しているわけではありません。それは、将棋や囲碁でいう、「当然こうくるだろう」という、「読み」でしかなくて、自分にとっては最低水準のマナーというか所作でしかないわけです。
だから、別に相手に期待しているわけではないけれど、期待云々を差し置いて、当然サポートを、それも特別なサポートをしてもらった人に対しては、何かしらの形で然るべき気持ちをきちんと伝えるものが、普通なんじゃないかと思っています。良くも悪くも、そういうものだという風に僕は捉えているわけです。
でも、結局1年経っても、メンバーの誰からも一言のお礼もなかったわけです。
これには僕も、さすがに拍子抜け。6桁のお金というと、何かに取り組むには決して小さな額ではありませんし、それによってできることも増える、自分の命が助かることだって、全然起こり得るわけです。
でも、1年以上経っても何の連絡もないということは、団体の人にとっては、6桁のお金は「はしたカネ」でしかなかったんでしょう。いやあ、1本取られたり。
ただ、ただですよ。
実はこの話には続きがあるんです。
僕がこれだけ多額のサポートをしたのは、当然ながら相手と直接面識があることも理由の1つでした。というか、さすがに面識なければ、これだけ大きなお金を僕も動かすことはなかったでしょう。
ただ、不思議なことが起こったのは1年と少し経ってから。
実は、僕がとてもお世話になっている友人も、その団体の人達とは面識があるのですが、そのメンバーの人の1人とたまたま、街で会ったそうなんですね。
そしたら、その相手が僕の友だちに向かって、「サポートありがとうございました」って、言ったらしんです。
でも、その友だちは一銭もサポートしてないんですって。
聞いてみたら、どうやら僕とその友だちを間違えていたらしい、ってことなんですけどね。
こんなことってあり得ますか? 6桁のお金を受け取っておいて、そのお金の出所をきちんと把握していなくて、全く関係のない僕の友人に、会った時に意味不明なお礼を伝える、なんてことが………。
しかも、そのお礼を伝えた人は団体の代表なんですって。
頭どうにかしてますよね。
適切な喩えかどうか分かりませんが、普段ずっとANAを利用しているのに、「いつもありがとうございます」ってお礼をJALにするようなもんでしょう。
そんな間違い、普通やりますか?と。
こんなことをここで言うのは無粋であることを承知で言うと、僕にとって6桁のお金っていうのは「はしたカネ」なんかじゃありません。自営業しながら貯金も作って、その何パーセントになるのかはよく分かりませんが、たとえクラファンで「ギブ」するために使うとしたって、他のことに使えるそのお金をそこに向ける、ということは、何らかの特別な理由がある、ってわけなんです。
でも、それすら想像できずに、全く無関係な人にその「お礼」をするって、一体人のお金と、それを手にするために使ってきた時間やスキルを何だと思っているのか?と、純粋に疑問を抱いてしまいます。
結局、そのお金がどんな風に使われたのかは知りませんが、僕は今でも、「あのサポートをして本当に世の中はより良くなったのか」と、考えることがあるのです。ロクな頭を持ってない学生のおままごとに、お金が消えてしまったのではないか、なんてことを思うのですよ。諭吉さんも、今頃泣いているかもしれませんよね。
もちろん、もう手元にないお金はどうやったって戻ってこないので、それに関していつまでもあれこれ考えるのは良くない、とは分かっています。正直、どうだっていい話であるのも事実、です。
でも、お金は重要でないとしても、その(しかも決して少なくはない)お金を受けとった側が、1年経たずにそのことを忘れてしまうのは、ちょっとヤバいんじゃないかと未だに思うんですよね。しかも直接面識のある人、から渡されたお金のことを、ですよ。
これは僕自身の話ですが、僕が初めてポーランドに行った時、恥ずかしいながらパスポートやら貴重品やら一式を盗まれてしまって、どうにもこうにもならなくなってしまったことがありました。
が、そのトラブルにあった夜に泊まったホステルで、その渡航中に唯一会った日本人の方がいて、その夜ごはんをご馳走してもらって憔悴した僕の話を聞いてもらい、大使館に行くまでのお金を貸してもらい、翌日警察に行って書類を作ってもらうのに同伴してもらい、と、何から何までお世話になったことがあったんです。
その人は、「お金は別に返さなくてもいいよ」と言われましたが、僕は銀行口座を聞いて、帰国したら真っ先に、1.5倍くらいのお金を振り込んで、お礼のメールをmixi(なつかしい!)で送りました。
何も、1.5倍と言っても、1万円くらいの金額です。それに、その人とはもう何の連絡手段も持っていなくて、近況報告のしようもない。
でも、もう9年以上前の出来事になりますが、未だにあの時お世話になったことは忘れないし、目の前に神様が現れて「あの時にお前の命を救った人は、どいつじゃ?」と4枚の顔写真を見せたとしたら、間違えずに選べる自信はあります。
それくらい、お金の多寡に関係なく、自分が施してもらったことについては覚えているのが普通じゃないか、と思って生きてきました。
別のときには、本当に救いようもない貧乏旅行をしていて、色んな人の家に転がり込ませてもらってお世話になったこともありました。その時に匿わせてもらった人達には直接お礼を言えていないことも多いですが、どこで誰にお世話になったのか、は、5年以上前のことでもはっきりと覚えていますし、そういう風に自分がお世話になったからこそ、別の世界に還元して、自分がかつて受けてきたようなことを、別の人にも与えられれば、と思って、自分の命を使ってきたつもりではありました。
でも、9年前に助けてもらったことを忘れない一方で、1年前に受け取った大きなお金(と、そのお金の出所)のことを忘れてしまう人もいるのが、この残酷で悲しき世の中の事実なんですよね。
「感謝」の意味を本当に理解している人は少ない
「シンドラーのリスト」という、名作中の名作映画があります。
第二次世界大戦中に、ナチスが占領したポーランドで実業で一財産を築きながら、収容所に送られるユダヤ人の多くを匿って命を救った「オスカーシンドラー」の物語、です。
この映画の中で、「本当に感謝の意味を知っている人は少ない」というセリフが出てくるのですが、まさに当を得ている一言だなあ、と思います。
ユダヤ人の世界では、未だに数多くの同胞の命を救ったオスカーシンドラーのことは語り継がれていますし、それは「日本のシンドラー」だと言われた杉原千畝に対しても同じでしょう。
端的に言うと、ユダヤの人達は、そういう「命の恩人」のことは、口で「感謝している」と軽くは言わないかもしれませんが、絶対に一生忘れずに生きていく、そういう人達なんですよね。
でも、この映画にあるように「本当に感謝の意味を理解している」人って、一体、この日本人の中にどれくらいいるんでしょう?
「感謝」って言うと、何かとても陳腐な表現になってしまいますが、言葉を変えれば、「自分が今ここでこうして生きていられるのは、誰のおかげなのか」ということです。
それは両親かもしれないし、取引先の人かもしれないし、仲良くしてくれる友人かもしれないし、人それぞれ違っていて当然でしょう。
でも、1つの線として続いていく人生の中で、自分の命を救ってもらった人、自分を物理的に助けてくれた人、そういう人の存在は絶対に忘れてはいけないし、どこか心の片隅に残っている、何かの拍子に必ず思い出すような存在として、生き続けなければならないでしょう。
僕は未だに、これまでの人生を振り返って「この人との出会いがターニングポイントだったな」という転換期や、自分にとってその時々で重要な存在だった人のことを思い出すことがありますが、僕にとっては、これが「世の中の普通」だと思っていました。
でも、今回のクラファンの一件で、自分の「当たり前」は、世の中の当たり前ではないんだなあ、ということを学んだんですよね。まあ、この一件より前からも、この記事の①~④で説明したような事例を通して、薄々気づいてたのはありましたが。
しかし、かつて多数の尊い命が無碍に奪われていったポーランドという土地で活動している人が、「感謝の本当の意味を知らない」って、どんだけ横柄なんでしょうか。一体、これまでその国で暮らして、何を学んだんでしょうか。
旅をしても海外で暮らしても、何も学べない奴が9割
今回こんな、半分ボヤキが入った記事を書くことにしたのは、あまりにも「見るに堪えない」品のない日本人を、海外で数多く見てきたからです。
よく、「海外を旅すれば見聞が広まる」「バックパックをすると学ぶことが多い」なんて言う人がいますけどね、僕が今まで出くわしてきた日本人を見る限りですが、海外に出ても何も学べない奴のほうが圧倒的に多いというのが、正直な感想です。
だって、バックパックで旅している人が、人の家にタダで転がり込もうとしたり、自分のミスでなくした荷物をあわよくばただ働きさせて送ってもらおうとしたりしているわけです。
一体、海外旅して何を学んでいるのか、という話です。
そして、旅だけでなく、何らかの形で暮らしている人でも、同じように「一体お前は、海外生活で何を学んだんだ」と、胸ぐら掴んで突っかかりたくなってくる人が非常に多い。
でも、そもそも「旅をすれば何かを学べる」「海外に出れば視野が広がる」なんて、ただの幻想だと僕は思っています。だって、この地球にいる人間は、場所は違えど、同じ人間として本質は同じだから。価値観の違いや文化風習の違いこそ学べれど、そもそも、そんな違いを学ぶ云々言う以前に、人としての立ち居振る舞いと礼節、そして修身(修養)を身につけろ、と言いたくなります。
そして、そういう立ち居振る舞いや礼節なんて、海外にいようが日本にいようが、きちんと「人と向き合う」ことをしていれば、自然と身につくはずだと思うんですが、どうなんでしょう。僕の考え方は間違っていますかね。
ヤバい海外在住日本人の特徴。それは……
さて、なんだか長くなってきましたが、上で説明した具体例を元に考えると、海外で付き合ってはいけない日本人の共通項として、「お金の話を有耶無耶にする」というのがあぶり出されるのではないかと思います。
特に、自分から相手に何か頼み事をするときに「お金払わない」というスタンスを取る人が、非常に多い。部屋に転がり込もうとする人しかり、ただ働きさせようとする人しかり。あと、人からのお金の支援を忘れるなんて言語道断。
こういうことを言うと、「だって、海外にいる日本人同士、助け合いが大切じゃないですか!」と口にする人がいます。というかとても多いです。
でも、そういう人に限って、他人に助けてもらうことは多々あっても、自分が他人を助けることはまあまずありません。何が助け「合い」じゃ、お前が9割助けられている「だけ」の状態やんけ、というわけです。
だいたい、本当に助け「合い」が大切、なんて思っている人は、そもそも助け「合う」なんてことはせずに、自分が人を一方的に助けまくる、という風に徳を積み続けています。そうしたら、どこかで回りまわって、何らかの「助け」が自分に返ってくるから、ということを肌感覚で理解しているからです。
でも、色んな日本人を海外で見てきましたが、9割以上の人は「助けてもらう」だけ、しかも「助け合いが大切」なんて口にはすぐするけど、自分が助けてもらったことなんて寝たら忘れるレベルだし、そもそも自分が「助けてもらっている」なんて感覚すらない。
これは真実ですが、口数の多さと行動の多さは反比例するし、言葉の軽さと気持ちの重さも反比例します(=言葉の軽さと気持ちの軽さは比例する)。
「命の次に大切な荷物を回収してくれてありがとうございました」なんて言う人に限って、その荷物なんて空気ほどの重さもないんですよ、本当に。
本当に命の次に大切なものだったら、きちんと態度で示さんかい、ってことですね。
人間、口ではなんとも言えますからね。きちんと態度を見ましょう、行動を見ましょう。その人となりを判断する、信用に足る人物であるかどうかは、その人がどんな態度を取って、どんな姿勢を見せて、どんな行動を取るか?そこだけをよくよく注意して、判断するようにすればいいですね。
人として最低水準に達していない日本人海外に多し。注意せよ
やや強引にまとめにかかりますが、海外で暮らして色んな日本人を見てきましたが、「人間として認められる最低水準」のレベルに達していない人が多い、という印象を受けます。
そして厄介なのは、そういう「ヤバい人間」かどうかの見極めをすることは、必ずしも簡単ではないもの。「ペテン師はペテン師のツラをしていない」と言いますが、一見大丈夫そうな人でも、蓋を開けてみたら(というか、何らかの付き合いがあると、ふとした拍子にポロッと)ボロが出てしまうものなんです。
僕もそれで実際、痛い目に何度も遭ってきましたからね。経験者は語ります(笑)
では、一体そんな修羅の世界でどう生きていけばいいのか?ということですが………。
無責任な言い方になるかもしれませんが、自分の「倫理観」を大切にするしかないんじゃないか、と思います。世の中の倫理的価値観に照らしあわせたときに超えてはいけない一線は必ず存在するわけですから、そこをしっかりと見極める、ということですね(まあ、それができたら苦労はしないよ、なんて言われそうですが)。
敢えてもう1つ挙げるとすれば、逆説的ではありますが、相手の足元を見てみる、というのはリスキーではあるけれども効果的かもしれません。
具体的には、お金の話をきちんとする、ということですね。何かお願い事をされたときに、気持ち的にも肉体的にも負担が大きいのであれば、「きちんとお金は頂きますんで」ということを伝えておく。これは後出しジャンケンになると印象が良くなくなるので、できれば話が進む前に、どこかのタイミングで「釘を刺す」ようにやるのがいいでしょう。
まあ、一番良いのは、日本人だからというだけで信用しない、ということかもしれませんが。
本当は、僕もブログをやっているように「ネットでリファレンスを取れる人の中で、そのコンテンツが信頼できる」人は信用できる可能性が高い、ということは伝えたいのですが、今は、表向きはきれいなサイト(ブログ)を作りながら、実態は同胞を騙す詐欺ガイドがいたり、うわべと中身が乖離しているようなブログ運営者も散見されるので、「自分自身の違和感を大切にして下さい」というような提案しかできないのが実態、といったところです。
まあ、僕もさすがに、これだけ色んな「付き合う価値もない残念な同胞」ばかりいると、そういうコミュニティとの関わりも今以上に減らしていこうかな、と思いました。
レベルの低い日本人は一生同類とつるみ続けて、奈落の底にでも落ちてくれればそれで結構です。
最後に、僕がフォローしているTwitterアカウントがいいことを呟いていたので、それを掲載して締めくくりたいと思います。
本当に「貧すれば鈍する」なんだよな。お金はすべてじゃないかもだが、僕は金銭管理しっかりできてる人を信用する。 https://t.co/uNOkWOCvnl
— 若旦那 (@Do9odyoxMHd4OHI) 2019年7月1日
良く考えると海外でたまに一緒に出掛けたり食事したり仲良くしている外国人の友達に共通している点は額の大小は別にして「自分の手でしっかり稼いでる人」だった。そして「与える」と「受け取る」のバランス感覚が自分と一致しているから居心地が良いのだと思う。
— 若旦那 (@Do9odyoxMHd4OHI) 2019年7月1日
恋愛でヤリチンや港区女子が嫌われる傾向にあるのって「与える」「受け取る」のバランス感覚が欠如してるからなのだと思う。ひたすらに奪うマインドだから。で必ずしもヤリチンや港区女子が嫌われるわけではなく「与える」「受け取る」バランス感覚に優れていると嫌われにくかったりするのだと思う。
— 若旦那 (@Do9odyoxMHd4OHI) 2019年7月1日
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ちと被害妄想ではないですか。物価目当てで訪れる日本人が増えても最初のきっかけにす…